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近視矯正手術
Q&A


RK・PRK news2001年1月 no.15

  イントラレーシックについて

  「レーシック手術」は、アメリカを中心に広まってきましたが、2000 年1月、厚生省がレーザーの機械の販売を認めたため、日本でも急速に関心が集まっています。最近では、西武の松阪投手が手術を受けたことが記事になっていました。
 その一方で多くの合併症が生じ、問題になり始めています(本誌五ページ参照)。一番の問題は、角膜を削るマイクロケラトームによる事故です。レーザーケラトームに改めることで、角膜の表面に触れることなしに、選択するいかなる深度において、内部の組織のみに3マイクロン程度のスポット状の空泡を形成して、レーシックの角膜弁や、角膜内屈折矯正リング用のトンネルを作成することを可能にしました。
   レーザーケラトームの開発は、1975年よりソハンガリー人、チボルユハス物理学博士と、ウクライナ系米国人、ロナルド・クルツ医学博士のチームで開始され、旧ソ連のロシア人やアルメニア人の物理学者が加わりました。後にミシガン大学に研究の拠点を移しましたが、臨床実験はブタペストのフォカスメディカルクリニックで行われ、旧ソ連東欧の関連で、故S・N・フィョドロフ博士も研究に関与 しました。

  フィヨドロフ博士を偲ぶ会


 2000年8月8日、東京都麻布のロシア大使館において参宮橋アイクリニックとロシア大使館の共催で、「フィヨドロフ博士を偲ぶ会」が開かれました
 8月8日はフィヨドロフ博士の73回目の誕生日でした。当日は、参宮橋アイクリニック奥山公道院長を始めロシア大使代理、フィヨドロフ顕微鏡手術研究所職員、マスコミ、親交のあった先生方の追悼の挨拶が続きました。
 RK・PRK友の会の会員も、平日6時開催という条件の中、遠方(長野、福島など)より20名程が参加しました。
 友の会の会員で直接フィヨドロフ博士にあった人は数少ないが、会場パネルや大画面ビデオに写し出された博士を見て、博士の考え出した手術のおかげで現在の快適な生活が続けられているという感謝の言葉を語り合いました。
 
  フィヨドロフ博士の思い出
     参宮橋アイクリニック院長
        奥山 公道

2000年10月20日の国際屈折矯正手術学会(10月19−21日 米国グラス)で、2000年6月2日ヘリコプター事故で急逝されたS・N・フィヨドロフ博士の眼内レンズ近視矯正RK、AK、ITK・PRK・LASIK・S-PRK手術、近視予防SP手術、角膜コラーゲンシールド、レーザー水晶体乳化術の開発、そして最近のイントラレーシックへの開発参加など、数をあげれば際限ない功績を頼彰する会が、学会主催で行われ、改めて博士のスケールのきさに驚嘆しました。

 博士はロシアの民主化に自身が大統領選に出馬すること等、大きな足跡を残されました。具体的には、ロシアのコカ・コーラや、携帯電話会社への出資、ロシア初のカジノ経営にモスクワで参加しました。博士の別荘があるプラタソワ村の農場改革にも取り組み、乳牛飼育を改善し、ミルクの採取料を増加させたり、村民の生活向上を、村の小学校建設や、道路、ガス、電気のインフラを通じ実現しました。

 博士と研究所の別荘地は、現在フィヨドロフ博士のファーストネームを冠して、スラービノ村という公式名称になっています。博士はスラービノ村に廃虚となつていた教会を修復しました。そしてその教会の墓地に眠っています。

 1983年に私が近視矯正RK手術をフィヨドロフ博士に執刀していただいてから、17年間にわたり師弟の閑係を持たせていただき、毎年3−4回位はお会いしていました。

 フィヨドロフ博士の眼科手術医としての才能に異論をはさむ医師は誰一人としていないのは衆知の事実です。博士の熊のように大きな柔らかい手の感触は忘れられません。しかし1度顕微手術が始まると、手先はピクリとも震えません。32キロ の鉄アレイを片手で堂々と差し上げている写真が示すように、博士は常に身体を鍛えていました。水泳や逆立ちしている写真も有名です。常軌を逸しているかに思えるのは、乗り物に対する執念でした。乗馬、マウンテンバイク、スノーモービル、4WDのランドクルーザー、セスナ、水上飛行機、そしてヘリコプターでした。青年期に左足のひざから末端を切断し、パイロットの道を断念せざるを得なかった博士は、世界的な眼科医になりました。しかし、大空を羽ばたく夢を常に見続けました。ベルトコンペア手術室と直結した、博士の執務室の20にも及ぶテレビモニターは、航空管制塔をイメージさせました。

 1999年6月、スラビーノ村に博士を訪ねた時に「コードー、今から空の散歩に連れていつてやるからな!」と博士は私をのせて約40分くらいヘリを操縦しました。
 4人乗りの英国製ヘリは、エンジンの音も軽やかに飛び立ちました。前列左にヘリ歴30年のベテランの教官、右が博士、そして後列は私が1人で乗りました。研究所のドクター達は「ボスの乗るヘリは危ないから、絶対乗らない方が良い」と助言してくれました。しかし博士は、みなの心配に耳を傾けることなく事故の3日前に、正式にヘリの免許をとられました。墜落当時、パイロットも乗っていましたが、誰が操縦していたかは不明です。

 博士が右足を踏み込み、ハンドルを下方へ移動させてヘリが無事着陸し、後部席の私の方を振り返り、ニコツと少年のような笑顛を浮かべられました。いかなる困難な手術を成し遂げた後でもこのように嬉し気なお顛は拝見できなかったかも知れません。あるいは単に笑顔の種類が異なっていたのかも知れません。いずれにしても先生の笑顔や、熊の手のような握手ができないのは寂しいかぎりです。
 
 今後は先生が残された最先端の眼科学の数々を先生の遺産と考え、多くの眼科医の先生方と分かって、1人でも多くの患者さんに健康な瞳の回復が行われる努力をしたいと思います。

私の手術体験
 
 新聞で奥山先生を知って
 1999年の12月21日に大阪で右目を、そして2000年の3月17日に東京で左目を手術していただきました。
 眼鏡やコンタクトレンズなしで目が見える喜びは、口では言い表せない程の深みある喜びです。過去、コンタクトレンズやソフトレンズを何回も替えて使用し、その度に痛い思いをしたり、目に傷がついたりで、眼鏡使用しか道がないと諦めかけていました。そんな時、毎日新聞で奥山先生のことを知り、さっそく電話をして診療して頂くことにしました。手術前は見えるようになるかどうか半信半擬でしたが、ハッキリと見えるようになって、こんな世界があったのかと喜びに包まれる毎日となりました。すべて奥山先生のおかげです。
 私は先生から大きな希望と幸せとパワーをいただきました。働く喜び(教師として)に磨きがかかります。
                    堺市 S・Kさん
−編集者より-
奥山先生への感謝の言葉があまりに多かったので宣伝とも誤解されかねませんので、一部削除させて頂いています。公立学校の先生ということでイニシャルになっています。
 
  友達に影響されて

 私の友達が参宮橋アイクリニックで手術を受けてとても結果が良かったので手術を受けることにしました。
 子供の頃から近視の手術のことは知っていて、機会があったら受けてみたいと思っていました。
 手術前の視力は右0.05、左0.06でメガネをかけたりはずしたりの生活でした。コンタクトは、アレルギー性結膜炎があるのでたぶん無理だと思ったし、友達がよくコンタクトがずれたりなくしたりという話をしていたので試す気にはなりませんでした。手術に対しては、身近によくなった人がいるので、迷いや不安はありませんでした。手術直後1-2日多少の痛みがありましたが、現在右1.2、左1.2の視力を考えるとすばらしい手術だと思います。
大田区 近藤まどか
  LASIK合併症について
術前
1.開瞼器による上皮剥離
2.マーキングインクによる上皮浮腫

術中(弁形成)
3.上皮びらん
4.角膜穿孔
5.弁形成不全(不完全な弁)
6.弁形成不良(ボタンホール状等)
7.フリーフラップ(弁が完全に取れてしまう)
8.弁の完全または一部損傷
9.弁の癒着不全
10.弁の損失
11.弁のディスロケーション(フラクトエーション等、弁が波状になってしわがより、元の位置に戻らないこと)
12.RK後に弁が節状に裂けてしまう
13.マイクロケラトームを通じての細菌感染 (DLKとは別)
14.ハード面での問題 (ケラト−ムの故障)
15.陰圧下にマイクロケラトームでカンナがけした時の、チン晶体断裂、水晶体の亜脱臼 (それらは診断されないことが多い) 術中(工キシマレーサー照射中)
16.偏心照射
17.実質面が湿潤だったり上皮片があることによる照射不足
18.ハード面での問題 (エキシマレーザーの故障による)

術後
19.エビセリアルイングロース(上皮侵入)
20.弁下の異物混入 (カミソリの刃こぼれ、異物、上皮片)
21.弁の浮腫
22.弁の膿瘍形成
23.不正乱視
24.弁下混滞 (サハラ砂漠症候群DLKによる)
25.弁に付着する部分の実質の部分的溶融(ジストロフィー)
26.弁に付着する部分の実質の全面的溶融(ジストロフィー)
27.矯正不足
28.屈折矯正の戻り
29.過矯正
30.乱視
31弁床の付着不全(DのSa【鮎竜(賢ioロヨ出竜CorロのPロ声句C肌qmdromの)
32.スキヤニングタイプで強度近視を矯正すると単一焦点のレンズが形成され、水晶体による調節カが落ちると近見作業がしずらくなる
33.ハロー現象
34.術後のDLK以外の細菌感染
35.薄い角膜ではエクトビーや円錐角膜の可能性あり
36.ドライアイの合併
 
輝かしい功績を残されたフィヨドロフ博士の研究は
数々の困難に直面しながらも、博士の強靭な信念を貫き通した歴史である。
 モスクワの博士の眠る墓とフィヨドロフ研究所を訪れ、その誇り高い源泉に今、静かに深く触れてみる旅。
2001年4月10日(火)〜4月15日(日) 5泊6日
フィヨドロフ博士の墓参フィヨドロフ研究所の訪問と見学
ヤルタのサナトリウム見学ヤルタ市内観光
最少催行人数15名全3食付き添乗員同行
お1人様費用 239,000円
 
4月10日
 (火)
12:15
16:45
アエロフロート機にてモスクワへ ホテル IRIS泊
4月11日
 (水)
午前
午後
モスクワ郊外のフィヨドロフ博士の墓に参拝
モスクワ市内のフィヨドロフ研究所訪問
ホテル IRIS泊
4月12日
 (木)
11:30
12:30
アエロフロート機にてシンフェローポリへ(ノンストップ)
空港着(所要2:00h)後、バスでヤルタへ)
ホテル Oreanda泊
4月13日
 (金)
午前
午後
ヤルタ観光(リバーディア宮殿、ヤルタ湾クルーズ、クリミアワイン工場)
サナトリウム(ゾーリン)見学
ホテル Oreanda泊
4月14日
 (土)
9:00
12:30
15:35
18:45
ホテル発シンフェローポリへ
アエロフロート機にてモスクワへ(ノンストップ)
モスクワ着
アエロフロート機にて成田へ(ノンストップ)

 

   機内泊

4月15日
 (日)
10:15 成田着
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体 験 談

三田村邦彦さん
手術をうけて→

水道橋博士
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