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No26 2013年 10月 日本において「近視手術」は、30周年を迎えました!


No25 2012年 3月 がんばろう日本と近視矯正費用

No24 2011年 3月 20年後を見据えた、フラップレス・レーシック

No23 2010年 1月 フラップレス・レーシックが選ばれている理由

No22 2008年 9月 近視手術25周年記念

No21 2007年 11月 一番欲しかった「良く見える目」

No20 2006年 9月 RKからレーシック・フラップレスへ

No19 2005年 8月 フィヨドロフ研究所との共同研究発表

No18 2004年 8月 オーロラと私 RKからPRKへ

No17 2003年 9月 参宮橋アイクリニック20周年記念

No16 2002年 6月 裸眼で見る大地の美しさ

No15 2001年 1月 21世紀のテクノロジー LASIKはもう古い!

No14 2000年 1月 タイガー・ウッズ視力矯正手術で好成績

No13 1998年 11月 参宮橋アイクリニック創立15周年のご挨拶

No12 1997年 11月 「ニュースステーション」前代未聞の放送中止!

No11 1996年 11月 奇跡の生還

No10 1995年 11月 PRK手術1千例超える!

No 9 1994年 11月 新しい時代に向けて

No 8 1993年 11月 注目集める最新レーザー手術

No 7 1992年 11月 私が見たCIS医療事情の無惨

No 6 1991年 11月 モスクワ、フィヨドロフ研究所を尋ねて

No 5 1990年 11月 フィヨドロフ博士来日!!

No 4 1989年 11月 角膜手術で近視が治った!

No 3 1988年 9月 第2回国際白内障、IOL、RK学会

No 2 1988年 2月 ソビエト、モスクワ顕微手術眼科研究所近況




フィヨドロフ博士を偲ぶ会


  近視矯正手術の父である、世界的に著名な眼科医スピャトスラフ・フィヨドロフ博士が、2000年6月2日に急逝されました。

 我国においても博士に師事した眼科医や治療してもらった沢山の患者がおり、博士を偲ぶ声が強く、2000年8月8日生誕73年に際し、「フィヨドロフ博士を偲ぶ会」をロシア大使館と共同で催行いたしました。

  当日は宇都宮から奈良、大阪まで約70名の先生方や患者さんが参集されました。

 会場中央にフィヨドロフ博士遺影が飾られ、その横に屈折矯正手術の原型を考案された順天堂医科大学の佐藤勉博士のお弟子さんでもある、中島章名誉教授から贈られた花束と心のこもったメッセージが供えられました。

 式次第はフィヨドロフ博士に1分間の黙祷を捧げ、次に在日ロシア大使館、参事官の挨拶で会が始まり、現参宮橋アイクリニック院長で1983年に日本人として初めてRK手術を受け、その後フィヨドロフ博士に師事した奥山公道博士。1983年にフィヨドロフ博士にRK手術を師事し、初代参宮橋アイクリニック院長をされた若山久博士が挨拶をしました。

 その後、来日中のフィヨドロフ研究所、カナニェンコ・アレクサンドル氏にフィヨドロフ博士亡き後の研究所所長代理に就任されたオニ―ド・フェドセビッチ・リンニク教授のメッセージを代読していただきました。

  また、発起人、交流のあった先生方にもお言葉をいただきました。ご紹介いたします。

東海大学医学部 尾羽沢 大 教授
1993年にフィヨドロフ博士が来日された際、同大学を訪問し、交流を深めました。
白内障眼内レンズに始まり、フィヨドロフ博士が屈折矯正手術をここまで広められ、今日の基礎を作られたのだというお話でした。

環境評論家 船瀬 俊介氏
1983年のRK手術に始まり、スーパーPRKにいたるまでクォリティビジョンの変遷をウォッチングされている。ベストセラー「買ってはいけない」の著者です。
フィヨドロフ博士の様な人がいてこそ科学分野の情報空洞化が防げるのだという博士のガッツ、擁護論を展開しました。

一ツ橋大学文学部 中村 喜和 名誉教授
フィヨドロフ博士と同様のロマノソフ金メダル賞を日本人として初めて授与されました。
博士のロシア国内の人気は我国の長島茂雄に匹敵するというお話でした。

岐阜大学医学部 早野 三郎 名誉教授
我国の白内障眼内レンズのパイオニアの1人で、フィヨドロフ博士来日時に師事されました。
1978年訪ソ時のフィヨドロフ博士の人間臭さを暴露するエピソードを紹介していただきました。

奈良県立医科大学 西信 元嗣 名誉教授 
フィヨドロフ博士の眼内レンズ、屈折矯正手術には常に興味を持ち続けられ、1996年には日露医学シンポジウムの座長をフィヨドロフ研究所イルクーツク分院で務められました。
フィヨドロフ博士があのソ連時代に適応して偉業を成し遂げた素晴らしさを、イルクーツク分院を通して肌で感じたとの感想を語られました。

眼科三宅病院院長 三宅 謙作 博士
1978年に早野博士と共にフィヨドロフ博士を日本へ招聘し、名古屋三宅病院でフィヨドロフ博士によるライブサージャリ―を実施。2000年1月28日にも我国厚生省が公認したばかりのレーザー屈折矯正手術のライブも実施されました。
フィヨドロフ博士の米国を中心とする学者としての評価や人気が高いこと、又、手術が非常に上手であることが紹介されました。

臨床眼科研究所 百瀬 皓 博士
1970年代よりフィヨドロフ博士の日本における臨床眼科分野のパートナーとして活発な活動をされ、フィヨドロフ博士の技術を日本に紹介して来られました。
献杯の辞と、フィヨドロフ博士との交わりについての紹介がありました。



 発起人の挨拶の後、1995年にロシア国内でゴールデンタイムに放映された人気番組「男と女」に出演されたフィヨドロフ博士のビデオ(河尻幸利、石井タ―ニャ吹き替え)やフィヨドロフ博士関連のスライドショー(赤澤俊雄)も大変好評でした。写真等資料を提供下さった方々に深くお礼を申し上げます。

 最後に、フィヨドロフ博士の偉業を称え、モスクワ顕微手術眼科研究所に、ロシア保健省よりフィヨドロフ記念研究所の名称が贈られ、また葬儀が行われた教会(プラターソワ村のフィヨドロフ博士出資により改築された)の隣にフィヨドロフ記念館が建立されることになりました。
 米国の偉大な歌手、エルビス・プレスリーの命日に、ファンが生地メンフィス参りを毎年行っている様に、「フィヨドロフ博士を偲ぶ会」によるモスクワツアーを行おうという話が出たところで閉会となりました。


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