4.視力
従来の視力の概念とは,単純に一定の照度、距離のもと(5m,視表面照度200lx,室内照度500lx)で片目ずつ測定するものである.眼科的に言うならば,ランドルト環やスネーレン視力表を使って,5mから視認させる方法により遠方視力検査を実施し,30cmの近方視力は近方視力検査を行って視力を確認してきた.視力表による視力検査というのは,あくまでも一定の条件下で得られる測定値である.絶対的には被験者と視力を確認する物体との距馳が長ければ長ほど,そして物体が小さければ小さいほど視力が良いことになる.しかし現実的ではないので,日常の外来の検査では5mのランドルト環を使って視力を測定している.
視力検査表が読めない場合はいくつかの原因を眼料学的に考察せねばならない.人間の眼はよくカメラに例えられるが,カメラのピントを合わせるレンズの異常,これを屈折異常と呼んでいる.無限大の距離を,水晶体が安静にしている状態で見る力の状態を正視と言う.それに対し,物を見ている対象の事物の結像(焦点)が網膜の手前で得られる状態が近視であり,網膜より遠方で焦点が得られる状態が遠視である.また,部分的に水晶体や角膜の歪みにより網膜の前方あるいは後方に焦点がくる乱視の状態がある.近視は網膜の前方に焦点がくるのであるから,原因としては光が眼球を通過する時に過剰に屈折する屈折性の近視と,眼球自体の奥行が伸びて,角膜から網膜までの距離が延長し眼軸が進展する軸性近視の2つが考えられる.逆に遠視の場合は,角膜の表面が扁平である屈折性と,眼球の軸が短いことによる軸遠視の2つが考えられる.
新生児の眼軸長は20〜21mmであるが,発育とともに伸び,18歳前後になると24mm前後になる.したがって5歳位だと遠視の状態ということが臨床的に広く認められるが,軸長の成長によって正視になる場合がほとんどである.しかし中には軸長23mm前後で遠視の状態が成人後も残る場合がある.
5.角膜屈折矯正手術
網膜の前方または後方で結像が行われる屈折異常を矯正する,角膜屈折矯正手術を行う本邦唯一の眼科屈折矯
正手術専門医療機関として14年前、1983年に参宮橋アイクリニックが設立された.自分が5.5デイオプタの屈折性近視であったので,自ら手術を受け,しかる後,家族10人も手術を受け,安全性と有効性を1年間確認した.その上で一般の患者を対象として手術する眼科専門医療機関として開設スタートした.
角膜屈折手術は1940年代に,順天堂医科大学の佐藤勉教授が発明したものである.佐藤教授は円錐角膜の患者が治癒過程において,一時的に屈折異常が軽減されることにヒントを得て,その手術を発明した.円錐角膜とは角膜が通常は中央部の最も薄い部分で500ミクロンで周辺部が7〜800ミクロンあるのに,中央部で400ミクロンあるいはそれ以
下になることにより,中央部が突出してくる病気である.進行すると,角膜の第4層のデスメ膜およぴ,第5層の内皮細胞を穿孔し,内部の房水が角膜実質内へにじみ出てくる.それにより,角膜のシャープな形が扁平化し,近視の状態が軽減され,視力の向上に結び付くケースがあったのである.佐藤教授は近視の患者に対して角膜の前方,あるいは後方から切開を入れることにより角膜の扁平化を図り,近視の程度を軽減する方法を発明した.しかし,残念ながら当時は角膜が5層からなることも,最内層に角膜内皮細胞が存在することも知られていなかった.角膜内皮細胞とは,角膜よりさらに内側にある前房から前房水が汲み揚げ,栄養と酸素を吸収し,角膜実質内の老廃物を排出するポンプの役割を担う細胞である.例えるなら木の根のような細胞であると言える.
佐藤教授は後面より角膜切開を行ったため,言わば木の根を剥ぐ結果となり,佐藤式放射状角膜切開手術(旧RK手術)では数年を経て角膜に混濁をきたす結果となった.角膜移植を必要とする患者が,700名中170名発生したことにより,この手術は中断のやむなきにいたった.佐藤教授は1960年に他界されている.
その後1960年になると,混濁した水晶体を除去して人工水晶体と置換する人工水晶体移植手術が盛んに行われるようになってきた.その手術時に前房固定人工水晶体レンズの一部が角膜内皮細胞障害を起こし,佐藤教授の旧RK手術後の状態と同様の,水泡性角膜変性症という現象が続出した.これより,内皮細胞の存在意義が強く認識されるようになり,角膜内皮細胞に障害を与えない眼科顕微鏡手術が開発された.
1973年に私の恩師であるスビャトスラフ・ニコライビッチ・フイヨドロフ教授が,初めて安全なフイヨドロフ式RK手術を発明した.フイヨドロフ教授がそのアイデアを思いついたのは,自転車に眼鏡をかけた少年が乗っていて転倒したときに眼鏡のガラスが割れ,破片により角膜に切開が入り,その切開が治癒する過程で近視の視力が向上する現象が起きたことによる.教授は故佐藤教授の文献を調べ,内皮細胞を傷付けずに角膜矯正手術ができないかを検討し,1974年にはフェイススリーの臨床手術を行った.教授の最大の功績は内皮細胞を傷付けないという安全面からの貢献のみならず,角膜切開手術を定量的に行う試みに成功したことである.
中央部の光学的に物を見るゾーンには切開を入れず、周辺部に4本から当初は16本の切開を一定の深さで,一定の長さに入れることにより,定量的に近視の屈折度を軽減するのに成功した.切開の長さを変化させるために教授は中央の光学域の大ききを変化させた.3mmから4.5mm位までのバリエーションで近視の屈折度によって変化させた.また,切開の深度も調節した.フイヨドロフ教授は私の恩師であるのみならず,1983年には主治医となられてモスクワ顕微手術眼科研究所において,私の両眼の屈折異常に対しRK手術をして下さった.その後1987年に教授のもとで紫外線領域の熱を持たないエキシマレーザ手術が開発された.これがフォトレフラクティブケラトトミーと呼ばれる、193nmの領域を使用するPRK手術である.本邦で初めてRK手術専門クリニックとして参宮橋アイクリニックが生まれて14年経ち
8000眼のRK手術と,2000眼のPRK手術が行われた.RK手術は角膜をダイヤモンドメスで切開することにより,角膜周辺部から扁乎化させる方法であるが,PRKエキシマレーザ角膜切除術とは,分子間結合を分断するエキシマレーザエネルギーによる角膜中央部の蒸散作用により同部を南扁平化させる方法である.エキシマレーザエネルギーについては,粒子光学特性を使ったファントムオプティックスという領域であるから後に少々言及する,
次に視力の低下をきたす光学的異常状態には,角膜を含む透光体が濁るという現象がある.レンズのパワーの問題ではなく,レンズ自身が混濁するのである.したがって眼鏡やコンタクトレンズでは矯正不能である.また,高齢者では白内障がこれにあたる.老眼鏡の効果がないとか,窓際に立っている人の輪郭がポーツとにじんで見えるような散乱があるといった状態である.この場合はいくら高齢者に優しいといわれる照明を行っても視力は改善しない.
同様にカメラに例えると,フィルムに傷が付くことになる.網膜あるいは視神経の疾病でも視力は低下する.代表例としては黄斑部変性症が挙げられる.円形の黄斑部変性症は老人に多く,視野が段々小さくなっていくような不安な状態が続き,失明につながる.ここでそういった高齢者や有疾病者に対しての照明の考察を行う.まず瞳孔の大きさについてであるが,瞳孔が小さく2mmくらいになると光の回折現象が起きてくる.回折という現象はその現象が起きる距離によりフレスネル回折、フラウンホーファ回折などが挙げられる.回折は光源を見た時の,グレア呪象に結び付くものである.
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